鑑賞 干渉

 

こんばんはー。

 

 

不思議なもので、

 

この国から出る前は、洋画をわざわざ英語字幕にしたり、字幕なしにしたり、でもそれが苦ではないくらいに洋画を好んでいたのに、

 

一回出て帰ってきた途端、日本の映画にどっぷり。

 

邦画ラブです。

 

なかでもヒューマンドラマ系。あと全体的に静かな雰囲気のもの。

 

 

なんでしょうね、あの、行間を読むってよく聞きますが、その日本語独特の間の取り方だったり、言葉の紡ぎ方だったり、表現だったり。

 

そういったもの一つ一つが沁みるんです。

 

 

ものすごい個人的なこと。

 

わたしの頭の中には 空間 が無数にあるんです。入り口も出口もはっきりしないから、部屋 とかではなく 空間。

 

他から刺激されたり、影響を受けると、その時々に応じた 空間 ができて、思考がしばらくそこに居座る。

 

いっちばんわかりやすいのが映画。

 

観た映画専用の 空間 が生まれて、そこから先の自分の行動全てが、その映画のワンシーンのように勝手に頭のなかで編集されていく。

 

例えば、音。衣類の布が擦れる音、歩く音、お茶を注ぐ音、飲んだ時の喉の音、コップを机に置く音、全ての音が明瞭に耳に届く。自分の息遣いさえも。

 

他にも、車窓の景色に勝手にエンディングテーマが重なってくるとか。

 

 

ある種の妄想なのかもしれませんな。

 

 

ただ、その妄想ともいう 空間 には、いつのまにか入ってるくせに抜け出すのにだいたい苦労する。

 

 

空間 から抜け出すのに時間がかかる映画ほど、

自分の中では高い評価を付けてる。

 

 

評価というより、印象、かな。

 

 

評価は、個人的にはあまりしたくないです。ヒューマンドラマ系はとくに、人の人生を描いているわけで、

100人いたら100通りの人生があるように、そーゆー映画の解釈の仕方も100通りあるべきだと思うから。

 

 

だから、たまに、かなり複雑な心境になるものだってある。

 

そういった映画こそ、受け止めて処理するのに時間がかかるし、空間 からなかなか逃れられない。

 

でも、今はそれが楽しい。

 

 

映画とかドラマ、本ぐらいしかないんじゃないかな。生きたことない、そしてこれからも生きることのない他人の人生を覗けて、あるいは入り込んで喜怒哀楽できるのって。

 

 

日本の映画、素敵です。

 

 

次は何を観ようか。

 

 

 

 

 

 

 

では、また。

 

 

おやすみなさい。

 

 

 

 

 

 

 

ーこうきしんブログー